威風堂々ぎゅっと胸にギフトを抱いたままで

「ボクが死んだ日はハレ」を観てきました。
きっと絶対に最高のはじめましてになると思いながらそれでもドキドキして、駅から劇場までの長い道のりに朦朧として、着いたら着いたで「…ここ!?」ってキョロキョロして、大好きな人たちに見送られたり見守られたり受け止めてもらったりしながら、久々に会えた人と笑って話して、少し切なくてだけどうれしくて、おかげさまでスムーズに劇場に入って笑、そしてボクハレに、百名ヒロキくんに出会うことができました。
この目で見た瞬間号泣とかするのかな、え、この私が…?と思ってたのだけど、見た瞬間に自分の胸に広がったのはいつも通り、ひろちゃんを見ていつもそこを満たすのはうれしくて楽しいって気持ちで、暗い客席の中で自分が笑顔になっていくことがわかって、ああそうだねだってひろちゃんだもんって。私の「大好き」は私だけのもので、ちゃんと私に正直に自己満足や自己陶酔でゴテゴテとデコレーションすることなくて本当によかった。
「ボクハレ」は喪失を抱えそれでも一歩を踏み出す物語。かつて芸能界で一世を風靡したミミ(浦嶋りんこさん)、SHOKO(小野妃香里さん)、かおり(笠松はるさん)が三世代のボーカルユニットを組む、その仕掛け人、プロデューサーであるすみ絵(高橋紀恵さん)、SHOKOのマネージャー篠原(上野哲也さん)でユニット「ハレバレハレルヤ」を売り出そうと奮闘しているその最中、ミミの身に起こるレコーディング中であろうと突然倒れるように眠ってしまう現象。一体何が起こっているのか、本人は何でもないと笑い、病院での検査も異常無し。一方ハレバレハレルヤの場面から切り替わって展開されるのはミミ、本名佐藤初美と息子である佐藤ひかる(百名ヒロキくん)のやり取り。母一人子一人の初美とひかる。一浪して夢である映画監督を目指して映画の専門学校へ行くことになったひかるの合格祝いしよう!母さんの料理まずいから食べに行こうよと言い合う、遠慮の無い、ちょっと口が悪いけど良い関係を伺える親子関係。「世界中に手紙を届けたいんだ、メールじゃなくて手紙を。世界は俺に手紙なんてくれないけど、映画なら俺から世界に手紙を届けられる」と夢を語るひかる。母さんが作ったハンバーグ食べたい、買い物に行こう、と部屋から出て行くところで場面はハレバレハレルヤのターンへ。でもこの時、初美は舞台から消えるけどひかるは舞台上手のセットの階段の中段くらいに身を預けるようにして座ってるんですよね。そこでSHOKOと篠原が現れて言う「あれ?誰もいない」と。
タイトルから、そしてフライヤーでひろちゃんだけ座って他の皆さんとはちがう方向を見ていたことから、何となくそうなのかなって、ひろちゃんが演じる役がそうなのかなって思っていたのだけど、あの「誰もいない」でわかってスゥッと身体の芯が冷えた。怖いとかゾッとしたとかじゃなくて、めちゃくちゃ生きてたのに、さっきまで本当に普通にそこにいたのに、って。今階段に身を預けている男の子のシンとした空気に、正直すごいなと思った。
恐らく誰もが大体を理解した中で、飲みに行こうと誘われたミミが当たり前のように返す「あー、でも家で息子が待ってるから」
そこから明かされる事実。一年以上前、ひかるはアルバイトで入っていた映画のロケで落石事故に遭い死亡していた。事故に遭ったのがひかるだけだったこともあり、マスコミに騒がれないように隠し通し一周忌まで終えたミミ。それなのに当然のように「息子が家で待ってるから」と言うアンバランスさ。並行して時間が行ったり来たりする初美とひかるの在りし日のやり取り。
再婚相手に嫌な予感がしたからと暴れてそれでも好きに生きればいいじゃんと不貞腐れていた恐らく数年前、シングルマザーで産んだことが週刊誌にすっぱ抜かれて母親が自分に父親は死んだと嘘をついていたことが許せなくて「触らないで嘘つきが移るから!」と泣きながら登校拒否をした小学一年生、反抗して乱暴な言葉を使ってお金貸してと言いながら母親の人生を責める中学三年生、そんな辛かったこともきつかったことも今は全てが愛しい、ミミが初美が繰り返すひかるとの魂のループ、幸福な巡礼。
だけど、どんなにその繰り返しが幸せでも生きてるのだから、生きてる私たちと一緒にいてほしいと言うかおりたちに頷き微笑むひかる。もともと感受性がとても強かったのだろうかおりがそのひかるの思念を受け取り、声を聞き、姿を見て、母に生きてる人たちと幸せになってほしいと協力させてほしいと言うひかるの思いを受け取り共有するメンバー。
死んでほしくない、ここにいてほしい、行ってほしくない、何度でも繰り返し会いたいと言う初美、それがだめならそっちへ行くと泣く初美にひかるが叫ぶ。
「人生にもしもはないし、あったことはなかったことにできない。なかったことは何度繰り返してもあったことにはならない」
「生きてるあなたの中で何度でも何度でも思い出してぼくを生かして」
「ぼくが死んだ日をハレの日にして。一人きりでぼくを産んでくれた日のように、手を繋いで入学式へ行った日のように、合格祝いにハンバーグを食べた日のように、ぼくが死んだ日をハレの日にして」
力強く抱きしめる、やさしく手を離す、生まれた日も、死んだ日も、ハレの日にして。生まれる直前のBGMはゴジラだった、だけど生まれたら天使が微笑みかけてくれた、ぼくは天使じゃないけどね生まれたら母さんがぼくに笑いかけてくれたからぼくも笑い返しただけだよ、何度でも何度でも何度でも何度でも思い出して、生きて生きて生きて、ありったけの願いを思いをこめて響く歌。生まれた日から、何度も巡った春夏秋冬、そして最期の5月。いつか自分が撮る映画のために写真を撮った、おにぎりを食べた、晴れていたあの日。
必死に呼び戻す「ここ」で生きる仲間たち、あと一息で、と言うところでミミ(初美)と仲間たちとの間に立ち笑うひかる。
「無条件の愛をたくさんもらったから、ぼくは大丈夫」
「この人たちサイコー。ハレバレハレルヤ、楽しみにしてる」
そんな言葉を残して「ここ」から去って行く。
長い長い眠りから覚めたように、歌いたいなあと言うミミ、そしてハレバレハレルヤのステージ。ひかるが笑顔で見守る中、力強く美しいハーモニーが響き、笑顔に包まれて幕が下りる。


登場人物皆がそれぞれ痛みと喪失を抱えそれでも生きていてそれが丁寧に描かれていて、とても悲しくて寂しくて、だけど美しくてやさしい、温かい物語でした。私はこの物語のことを大好きになりました。百名ヒロキくんの門出が、新しい一歩がこの作品でよかった、幸せだなあって心から思いました。
ひろちゃんが演じるひかるくん、やさしさと繊細さと目一杯愛されて育ったゆえの自信と芸能人の息子と言う影の部分と、いろんなものがぎゅうっと濃縮されていて、ものすごく本音を言うと産まれてから最期までずっとかわゆかった。ごめんどうしても言いたいめちゃくちゃかわゆかった。不思議なようで不思議でも何でもないのだけど、ひろちゃんはひろちゃんで、笑った顔もふわりと柔らかい目尻もきれいな声も愕関節の秀逸なラインも細い腰も広い肩幅も、なのに衣装のパーカーが妙にダボっとしてかわいらしいところも、側転が描くきれいな弧もその時にTシャツがめくれてチラッと見えたお腹も軽やかなステップも身体の使い方がきれいなところも目を伏せて笑うところも眉毛を上げた表情も下げた表情も、全部知っていて、私は全部知っていたけど、でも以前よりももっと素敵になっていた。なんて、ありきたりのことしか言えないのがもどかしい。
ひろちゃんの台詞はいつも聞き取りやすくて、そして前にちょっとだけあったクドさが取れていて、随分と大人っぽくなったようで笑った顔は変わらずかわいくて向日葵のようで、って言ったら脳裏を如恵留が華麗に過るのだけどそれはともかく、役者として歩き出したんだなあって、石丸さんをはじめ共演者の皆さんにしっかりと育てられ大切に導かれたんだなあと思うとそれだけでうれしくて、そしてひろちゃんもそれに応えたのだなあと信じられるくらいのものを受け取りました。
たくさんたくさん、好きな場面がある、ひかるくんのシーンもそうじゃないシーンも、ミミさんと軽快に会話するひかる、そっと階段に身を預けて「ここ」にいない者として存在するひかる、お母さんのついた嘘が許せなくて泣いた小学生のひかる、真っ直ぐに誠実にひたすら明るく信じるものを守ろうとする姿にボクハレの世界をより愛させてくれた篠原が出ているシーンは全部大好き、死んだお父さんが骨になった日に台所でお父さんのものとしか思えないオナラの匂いがしてくさくて幸せで泣きながらお酒を飲んだって言う篠原、「女が歳をとるってねシワが増えるだけじゃない」って歌うすみ絵さんとSHOKOさんとかおりさんも大好き、口は悪いけどとってもやさしいSHOKOさんが本気でミミさんを心配するのが大好き、篠原、篠原本当に愛しくて!推しのこと好きすぎて救われすぎて結果的にマネージャーと言う彼女を支える仕事に就いて実際に人生を助けてる篠原勝ち組すぎる!かおりさんがひかるの言葉を他の人たちに伝えるため通訳をするのだけどその時にひかるとかおりさんがずっと声をシンクロさせて台詞を言う、あの不思議に心地よく響くユニゾンには胸が震えた、そんなひかるとかおりさんが子どもの頃にしか見えなかった世界を分かち合って舞台を駆け回るシーンは美しくて無邪気でだけどもう子どもじゃないことも十分に伝わって大好き、篠原が自分は見えないけど、SHOKOさんに思いを伝えて付き合っちゃいなよ結婚だってしちゃいなよと言う、大事にしていた彼女にもっと触れたかったって言うひかるを、悔しいよな切ないよなってゆっくりとやさしく抱きしめるシーンも大好き、その後歌い踊って現役時代のSHOKOさんまで出てくる一連の流れも大好き、踊るひかる、推しを目の前にしたオタクでしかない篠原、そしてミミさん=初美とひかるの「ボクが死んだ日はハレ」。ひかるが、お母さんへ思いを伝え手を離し背中を押すあのシーンで、ひろちゃんが歌った曲のタイトルが「ボクが死んだ日はハレ」なんですね。いつまでもいつまでも見ていたかった、聴いていたかった。悲しくてやさしくて涙が止まらなかった、間奏でいいのかな、暗めの照明の中で上体を反って踊るひろちゃんがとても美しかった。知っていたけど、知らなかった。また新しく大好きになった。

私ねえ、役者の百名ヒロキくんのファンになりました。
じゃにーずにいた仲田のひろちゃんがいなくなったとき、寂しくて悲しくてなんでいないのどこへ行ったのって苦しくて苦しくて、泣いたり怒ったり全部いらない全部嫌いってやっぱり大体怒ったり、あの子がいるなら誰とでもどこでもいいけど、あの子がいないなら何も意味がないって一瞬でジャニオタじゃなくなった。百名のひろちゃんとして戻って来たとき、一瞬で好きになった。できれば「舞台を観てから好きかどうか決めますキリッ」って言いたかった。無理だった。もう好きだった。盲目と言うか思いこみが激しいと言うか意地と言うかそんなものなのかなとほんの少し思ったけどやっぱりほんの少しだった。
紡がれる繊細で大胆な言葉を好きになった、解禁されたフライヤーのおさるさんver.を好きになった、やさしくて気遣い屋なことがわかる硬めの文章を好きになった、どうやっても周りから愛されるところを何度も何度も好きになった、そして舞台に立つ姿を観た。以前のひろちゃんが不自由そうだなんて思ったことなかったけど、ああ、自由なんだなってなぜか思った。大好きになった。わかってた、当たり前のようにそうなるってわかっていた、だけどまた新しく好きになれたことがうれしくてうれしくてどうしようかと思った。
ツイッターでフォローさせてもらっている方も仰っていたけど、これからはいかにひろちゃんが演じる役や出演する作品を好きになれるかなんだってことで、「じゃにーず」と言う所属が既にコンテンツとしてほぼ確立されているものが無い、ホームが無いと言うことは、ひろちゃん自身を感じることだってもちろんあるのだけど、でもきっとそれよりも役が占める割合が大きくなるのだなって。きっと今想像しているよりずっと大変なんだろうなと思いながら、それでも百名ヒロキくんが目指すもの、進む道、新しく立つ場所をこれからも何度でも見たいと思ってる。大変だなー大変だろうなーでも楽しみ!すごく楽しみ!

この子だ、って強く思った夏から丸4年5回目の夏、またもう一度、何回でも「この子だ」って泣き笑いで確かめた夏。
これ以上ないくらい晴れやかな一歩、ここに繋がったのだと思うと何もかもに意味があったと思えた「ボクが死んだ日はハレ」、好きになったよかった、全部君だった。

百名ヒロキくん、「ボクが死んだ日はハレ」の幕が無事に上がり、そして下りたこと、新たなスタート、本当におめでとうございました。
毎日がハレの日だったと言っていたひろちゃん、これからもハレの日がたくさんありますように、いつだって挑み形にしそして届ける日が晴れやかでありますように。これからも何度でも、幾度となく。