20170505

2月に少しずつまるで丁寧に一つずつ片づけていくようにしてやがて来るそれを覚悟させ、3月の最初の日にあまりにもきれいに軽やかにいなくなってしまったあの子は、口に出すまい出すまいと思いつつどうしても期待してしまっていた4月1日に若干の疑いの余地を残しつつも帰って来てくれた。うれしいお知らせを持って、なぜか中央揃えのレイアウトで、webでも誌面でももちろん連載なんて持っていなかったから文章なんて知らないはずなのにきっと間違いないと言う彼らしさをまとって。
うれしかった。とてもうれしかった。続けること、そこに留まることはすばらしくそして何よりも強いと思う。それは絶対にそうだけど、でも今までの間違いなく守られて恵まれていた大きな組織から飛び出したことも、自分の意思で、そこに立ちたくて、そこで勝負をしたくて踏み出したことも素直にすごいと思った。「君が行くなら間違いない」とあの日から何度も何度も思って、あの子が決めたことなら絶対に正しいのだと心から思って、そして思いのほかすぐにその答え合わせはできた。ちがう名前、合致する生年月日と血液型、背中と耳の形しかわからない後ろ姿、それでもきっとそうなのだと思えた愉快なプロフィールと言葉の選び方。多分本人はそこまで愉快な性格でもないのに要所要所で愉快なところが本当にかわいいのはともかく、表舞台に立つことを選んでいたことがうれしくて身勝手にありがとうって思った。
元いた世界はあの子がいなくても問題なく何事もなかったかのように回るし進むし変わらないし変わっていく。最初からいなかったようになっても私は正直それでよかった。今までだってそうやってきたのだからそれでいい。それを見るか見ないか、それだけのことで私は見ないことを選んだ。全部好きでいられたらよかったのにね、と他人事のように思いながらキーワードミュートはどんどん増えたし配信されるメールに目を通すことはなくなった。あの子ならどこでも、誰と一緒だっていい。だけどいないなら何もいらない。背を向けて目を瞑り耳を塞いだ。きっとこれからも。

諦めたわけじゃない、逃げたわけでもない、捨てたわけでも浅慮なわけでもましてやラクな道を選んだわけでもない。何が遠回りで近道でそれでさえないかなんて今わかることじゃないしずっとわからないかもしれない。でも好きだから、この先もずっと好きかなんてわからないけど今大好きだから、どんな景色が待っているかなんてわからないけどでも今いちばん見ていたいのは知りたいのは心動かされるのは気持ちを揺さぶられるのはあの子だから、選ぶまでもなく選んだ。知らないことの方が多いのに大好きなんて今に始まったことじゃない、ずっとそうだったんだからそれでいい。

そして今日、あの子が出演する「ボクが死んだ日はハレ」のフライヤーが、ビジュアルが解禁された。
harebare
ameblo.jp

ぶわあって、身体を温かいざわざわっとしたものが通り抜けていった気がした。髪の毛が短くなって、そりゃもう短くなって、ああもうサイドまで刈るなとあれほど、って思いながら、うそ思う余裕もなく、あまりにも懐かしくて愛しい笑い方に泣いて笑って大好きだと、ひたすら大好きだと思って汗ばんだ手のせいでしっとりしてきたあいほんをそれでも握りしめた。

思いっきり挑戦できますように、たくさんの素敵な出会いがありますように、苦しくともすばらしい経験を積んで宝物になりますように、大好きな場所に立ち続けられますように。

百名ヒロキくん、百名のひろちゃん。
おかえりなさい。はじめまして。ずっとずっと大好きでした。そして大好きです。