20170521

ずっとひろちゃんの言葉が文章が読みたくて、いつかウェブか雑誌の一コーナーかで連載とかできないかな~と高望みでも何でも願って期待していたのだけど、思わぬ形でそれを享受できるようになった今、何と言うか百名のひろちゃんは何もかもがはじめましてのはずなのにやっぱりずっとずっと知っていたひろちゃんで、ひろちゃんがそこに置いてくれる言葉は私にはあまりにもひろちゃんとしてしっくりきて、感じ方は繊細なのに表し方はわりと大胆で、頑なさとやさしさが滲み出てるあの子の言葉に触れて、気づけばまた好きを更新していた。えへへへ大好き。
名残なのかそう言う意思なのか(後者っぽいけどどうだろう)とりあえず自撮りとかは載せないひろちゃん。あめぶろってめっちゃ自撮り載せるブログだと思っていたからそうじゃない場合もあるのかと驚く私。かと思えば自撮りではなく何かしらのノートに恐らく鉛筆で描いたであろう自画像を載せるひろちゃん。模写って。まさかそんな方向から来るとは予想もしてなくて、ああ、好きだ~~私はひろちゃんのこう言うところが好きだ!繊細な感じ方、大胆な表し方。
ameblo.jp
耳が大きくてかわいい。

深く考えない過ぎないようにいつも注意している

と言うけども、深く深く、とことん考えたその結果として今そこにいるのだろうひろちゃんのことがとても愛しいと思った。と同時に、

天秤なんていらなかった

と言う潔さ、選ぶまでもなかったんだなあって、ある意味でとても薄情に見えるかもしれないことを言い切る覚悟がうれしかった。私はね、本当にうれしかったよ。言えないだろうって前提はあるけど、それでも今までのことをチマチマ言うことをせず言い訳をせずただひたすら自分が選んだこと、選ぶまでも比べるまでもなかったことと言い切ったことがうれしかったよ。踏ん切りをつけないといけないからじゃない、そうじゃなくて、手に入れたいものがあったんだと、そこへきちんと堂々と踏み出したのだと、飛び込んだのだと信じていたから、だからうれしかった。勝手に思いっきり信じてきたことがうれしかった。
ひろちゃんの伝え方をどう捉えるかなんて人それぞれで自分以外の人のことはともかくだけど(正直気にはなるけど笑)だけど私が好きだと、ああひろちゃんだなと思えたので、そのことがとてもうれしかった。

やさしい人だな、と思う。
どうしてもしばらくはつきまとうこと(それに多分私、と言うか私の属性も漏れなく入っているんだけど)は面倒で煩わしくてそれこそ「探さないでください、一人にしてください」って言いたいようなことだけど、それなのに不安にさせてしまった、だなんて書いてくれる。「ごめんなさい」って続けないのが最高にかっこいい。とても孤独だと言う挑戦と経験の先に、どうか光に満ちた舞台がありますように。

7月も11月も、それ以外もそれ以降も、ひろちゃんが立ちたい場所に立ち続けられますように。
今のところ口でそう言うしか応援方法がないのだけど、何か具体的な手段がほしいな…!