20171117のこと

仕事中、たまたま一息ついた時にこのツイートが目に飛び込んできて一瞬どころかしばらく意味がわからなかったしめちゃくちゃ驚いたし今も驚いてるしうれしくてうれしくて本当にうれしいのだけど最早うれしいを通り越して驚いています。結果的に昨日からずっと驚いていたのと何はなくともお祝いだ、と酒を飲み過ぎたせいで丸一日以上経ってやっとこうして落ち着いてはないけど何とか書き始めました。ところでマクベスの感想は。
百名ヒロキくん、舞台「GANTZ:L」主演おめでとうございます。
うれしい、とてもうれしい、こんなことってあるんだ。
変な話、それを望む望まないとかひろちゃんの実力がどうこうとか言う意味ではなく、ひろちゃんが百名のひろちゃんになって少しして、それが7月の舞台を観た後だったかどうかはちょっと覚えていないのだけど、何となく漠然と「主演として舞台に立つ姿を観ることはないかも」と思ったのです。何でかと問われるといやもう本当に「何となく漠然と」なので私は今後私の「漠然とした予感」を一切信用しないようにしたいです。そもそもぐーぐるまっぷ見ながら「…こっちだ!」って歩き出す方向が大体逆の人間がちゃんとした「漠然とした予感」を抱けるわけがなかった。
だけど、それでも、主演ですよ。主演舞台ですよ。
共演する役者さんとか、演出家の方とか、劇場とか、日程とか(土日が2回ある…!!)、あと解禁されたビジュアルだとか、解禁されたビジュアルが凄まじく美しいこととか、何かもう一つ一つに胸がいっぱいになって、何と言うか、ひろちゃんすごい~~~~ひろちゃんすごいよ~~~うれしいよ~~~( ; ; )しか言ってない。語彙なんてとっくにしんでるのに何ではてブロなどにこの思いをしたためてるのかよくわからない。だけど、覚えていたいじゃないですか。絶対に忘れるから。
仕事を終えて歩きながらじわじわとうれしくなって涙出たことも、興奮しすぎてたのか温度設定のせいか電車内でのぼせそうになったことも、こんなにたくさんのニュース媒体が話題に!?って動揺したことも、夢心地のところ会社用の携帯が鳴って途中下車したこともホームが寒かったことも、エビスの中でも一番高いの買ったことも、こうして並べるとすごくどうでもいいけどやっぱり覚えていたい。その時の心臓がひょえって浮いた感じ、向かって左側手前のトイレの個室、暑くてかばんにつっこんだストール、帰る!!とパソコンを落としたら鳴った社内線、全部。
「主演は百名ヒロキ!」
何度も何度も読み返した言葉をもう一度なぞりながらまた胸がいっぱいになる。あの事務所を辞めたことは今もふとした瞬間心細い、もういなくなってほしくなくてたまに怖くなる、百名くんとしてたくさんの人に認められてほしくてファンが増えてほしくて何もできないくせにジタバタしてしまう、そしてそんな私の小ささを吹き飛ばすように舞台に立つひろちゃんは相変わらずきれいで「ああ、またうまくなった」って、何よりも「大好きだ」って当たり前のように思わせてくれる。届けてくれる言葉はいつもやさしく、伝えてくれる姿勢はまっすぐで美しい。誰とどこにいてもいい、ひろちゃんがいればいいって思ってたら気づけば「…ここは!?」みたいな場所に立ってたけど、だけどここもひろちゃんがいてくれるからとても心地よい。

たくさんたくさん驚かせられた2017年、恐らく今年最後のお知らせなのかな、こんな爆弾を用意していたなんて、ひろちゃんと言う子は本当に心臓に悪くて最高で最高な推しだ。
情報解禁を待つ時間が楽しみだと言っていたひろちゃん、ファンによろこんでもらえるのが一番うれしいと言ってくれたひろちゃん、ツイートもブログもわりと落ち着いてたけど(ガツン!は、まあ、言いたかったんだろうな…笑)ひろちゃんも楽しみでうれしかったのかなと思うとだめだもう~~~~ひろちゃんありがとう~~~~みんなGANTZ:L観に行こう~~~そろそろ締めないと~~~

ひろちゃん、ひろちゃんおめでとう。
きっと絶対に最高の空間になるから、体調に、何はなくとも体調に気をつけて駆け抜けてください。
楽しみにしてるよー!


かっこよすぎてしぬかと思った。

20170816

たっぷり休めた弊社の夏季休暇も今日で終わりと言うことで、最高に新鮮な気持ちで仕事したくないです。
8月に入ってずっとずっと書きたかったことがある。ひろちゃんからのお知らせ2つ。うれしくて驚いてとにかくうれしくてどんだけかっこいいんだってジタバタした。8月4日の日付け変わってすぐと、そして同日の正午過ぎにブログでお知らせしてくれた出演舞台情報。舞台「終わらない世界」とミュージカル「マタ・ハリ」。一日と言うか半日の間に2つも!マクベスが控えている11月にまた新しい舞台に!そしてそしてミュージカル「マタ・ハリ」!!!うれしくて、ひろちゃんがそれをうれしいって言っているのがまたうれしくて、「憧れの紀伊國屋ホール」って言葉にして教えてくれる、舞台に立ちたいミュージカルをやりたい(アイデアニュースのインタビューで)って言っていたことを叶えていく、うれしい、かっこいい、どうしようすごくかっこいい、そんな感じでお知らせがあった日は本当に一日中うれしくて何なら次の日もうれしくてどうしたもんかとニマニマしていたけど、10日以上も経ってからブログを書いているのは、ほら、暑かったから…。西日本本当に暑いから、本当に…。
と言うわけで改めて。
ameblo.jp

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改めておめでとう…!何度でも新鮮にうれしい…。
ひろちゃんが立ちたいと思っている場所に、歩きたい道に、在りたい自分に近づけているのであれば私はとてもうれしいし、そしてそれ以上にうれしいことは今のところひろちゃんが与えてくれるものたちが私の好きなものときちんと重なっていて、作品を素直に楽しみにできることが実はすごく幸せなんじゃないかって数日前気づきました。気づいたところで、まあ、ありがてえなあ~~ってにこにこしただけだけど。
それでも心がざわつくトリガーはそこら中に転がっていて、触れないように見ないように気づかないようにしてもまだまだ修行が足りないのかなかなか上手くできなくて。私はアイドルであったところの仲田のひろちゃんのことも大好きで、最高のアイドルだと思っていたし、じゃにーずでアイドルやってるひろちゃんのことが大大大好きだった。いなくなっちゃったことは今も正直苦しくて寂しい。でも私が苦しくて寂しいのはまさに「いなくなったこと」で、今「アイドルであるあの子に会えないこと」でも「アイドルやってるあの子を見られないこと」でもないのかもしれないと、そんなことを思ったりした。そこから離れた今と言う現実しかないからどうしようもないどうにもならないって言うだけの話だとも思うけど、じゃあ変わらずそこにいてほしかったのかと自分に問うてみると今はもう違う気がする。どうやら私はあの子がアイドルだった時代に「彼が見たかった景色」を見ることは叶わなかったらしいけど笑(クソほど根に持ってる)、私が見たかったものは紛れもなくひろちゃんはたくさんたくさん見せてくれた。全部じゃない、思い通りなわけがない、それでもひろちゃんが見せてくれるものが正解だった。私が見てきた私が好きだった今も好きなアイドルである仲田のひろちゃんは何も変わらない。変わらないからこそ無理やり今に捩じ込むことも、過去に対して「こうあったら」ってたらればを唱えることもしたくない。私自身が私が大切にしてきたものを汚い手でこねくり回してたまるかと思う。テレビも雑誌もコンサートもオリジナルの衣装も曲もどこにもないけど、でも変わらずそこにいたとして4月以降役者であるところの百名のひろちゃんが見せてくれたもの、掴んだもの、形にしたものがなくてもいいのかと言われたら絶対によくない。そう、「あったことはなかったことにできない。なかったことは何度繰り返してもあったことにはならない」のだから。私はもう百名ヒロキくんを知ってしまったし彼から彼へすべてはちゃんと繋がっていた。そのことはつまり幸せなんだと思えるから、それでいい。
ってここまで書いては消し書いては消ししながら書いたところですごくおもしろくなかったけど、遠くない未来の私が読み返してこんなことでうだうだ言ってたのかと鼻で笑うために残しておく。既にこんなことで躓いてしまうオタクのことなんて余裕でおいていけるくらいの勢いで走っている人に対してこっちは本当にのろくて嫌になってしまう。だけどそのまま、おいていってほしい。全部を笑って振り切ってしまうくらいに遠く、笑って走ってほしい。もちろん歩いても止まっても何でもいいのだけど!ね!

早くひろちゃんが演じる空間に行きたいな~~~~多分これが一番言いたかった~~~~

威風堂々ぎゅっと胸にギフトを抱いたままで

「ボクが死んだ日はハレ」を観てきました。
きっと絶対に最高のはじめましてになると思いながらそれでもドキドキして、駅から劇場までの長い道のりに朦朧として、着いたら着いたで「…ここ!?」ってキョロキョロして、大好きな人たちに見送られたり見守られたり受け止めてもらったりしながら、久々に会えた人と笑って話して、少し切なくてだけどうれしくて、おかげさまでスムーズに劇場に入って笑、そしてボクハレに、百名ヒロキくんに出会うことができました。
この目で見た瞬間号泣とかするのかな、え、この私が…?と思ってたのだけど、見た瞬間に自分の胸に広がったのはいつも通り、ひろちゃんを見ていつもそこを満たすのはうれしくて楽しいって気持ちで、暗い客席の中で自分が笑顔になっていくことがわかって、ああそうだねだってひろちゃんだもんって。私の「大好き」は私だけのもので、ちゃんと私に正直に自己満足や自己陶酔でゴテゴテとデコレーションすることなくて本当によかった。
「ボクハレ」は喪失を抱えそれでも一歩を踏み出す物語。かつて芸能界で一世を風靡したミミ(浦嶋りんこさん)、SHOKO(小野妃香里さん)、かおり(笠松はるさん)が三世代のボーカルユニットを組む、その仕掛け人、プロデューサーであるすみ絵(高橋紀恵さん)、SHOKOのマネージャー篠原(上野哲也さん)でユニット「ハレバレハレルヤ」を売り出そうと奮闘しているその最中、ミミの身に起こるレコーディング中であろうと突然倒れるように眠ってしまう現象。一体何が起こっているのか、本人は何でもないと笑い、病院での検査も異常無し。一方ハレバレハレルヤの場面から切り替わって展開されるのはミミ、本名佐藤初美と息子である佐藤ひかる(百名ヒロキくん)のやり取り。母一人子一人の初美とひかる。一浪して夢である映画監督を目指して映画の専門学校へ行くことになったひかるの合格祝いしよう!母さんの料理まずいから食べに行こうよと言い合う、遠慮の無い、ちょっと口が悪いけど良い関係を伺える親子関係。「世界中に手紙を届けたいんだ、メールじゃなくて手紙を。世界は俺に手紙なんてくれないけど、映画なら俺から世界に手紙を届けられる」と夢を語るひかる。母さんが作ったハンバーグ食べたい、買い物に行こう、と部屋から出て行くところで場面はハレバレハレルヤのターンへ。でもこの時、初美は舞台から消えるけどひかるは舞台上手のセットの階段の中段くらいに身を預けるようにして座ってるんですよね。そこでSHOKOと篠原が現れて言う「あれ?誰もいない」と。
タイトルから、そしてフライヤーでひろちゃんだけ座って他の皆さんとはちがう方向を見ていたことから、何となくそうなのかなって、ひろちゃんが演じる役がそうなのかなって思っていたのだけど、あの「誰もいない」でわかってスゥッと身体の芯が冷えた。怖いとかゾッとしたとかじゃなくて、めちゃくちゃ生きてたのに、さっきまで本当に普通にそこにいたのに、って。今階段に身を預けている男の子のシンとした空気に、正直すごいなと思った。
恐らく誰もが大体を理解した中で、飲みに行こうと誘われたミミが当たり前のように返す「あー、でも家で息子が待ってるから」
そこから明かされる事実。一年以上前、ひかるはアルバイトで入っていた映画のロケで落石事故に遭い死亡していた。事故に遭ったのがひかるだけだったこともあり、マスコミに騒がれないように隠し通し一周忌まで終えたミミ。それなのに当然のように「息子が家で待ってるから」と言うアンバランスさ。並行して時間が行ったり来たりする初美とひかるの在りし日のやり取り。
再婚相手に嫌な予感がしたからと暴れてそれでも好きに生きればいいじゃんと不貞腐れていた恐らく数年前、シングルマザーで産んだことが週刊誌にすっぱ抜かれて母親が自分に父親は死んだと嘘をついていたことが許せなくて「触らないで嘘つきが移るから!」と泣きながら登校拒否をした小学一年生、反抗して乱暴な言葉を使ってお金貸してと言いながら母親の人生を責める中学三年生、そんな辛かったこともきつかったことも今は全てが愛しい、ミミが初美が繰り返すひかるとの魂のループ、幸福な巡礼。
だけど、どんなにその繰り返しが幸せでも生きてるのだから、生きてる私たちと一緒にいてほしいと言うかおりたちに頷き微笑むひかる。もともと感受性がとても強かったのだろうかおりがそのひかるの思念を受け取り、声を聞き、姿を見て、母に生きてる人たちと幸せになってほしいと協力させてほしいと言うひかるの思いを受け取り共有するメンバー。
死んでほしくない、ここにいてほしい、行ってほしくない、何度でも繰り返し会いたいと言う初美、それがだめならそっちへ行くと泣く初美にひかるが叫ぶ。
「人生にもしもはないし、あったことはなかったことにできない。なかったことは何度繰り返してもあったことにはならない」
「生きてるあなたの中で何度でも何度でも思い出してぼくを生かして」
「ぼくが死んだ日をハレの日にして。一人きりでぼくを産んでくれた日のように、手を繋いで入学式へ行った日のように、合格祝いにハンバーグを食べた日のように、ぼくが死んだ日をハレの日にして」
力強く抱きしめる、やさしく手を離す、生まれた日も、死んだ日も、ハレの日にして。生まれる直前のBGMはゴジラだった、だけど生まれたら天使が微笑みかけてくれた、ぼくは天使じゃないけどね生まれたら母さんがぼくに笑いかけてくれたからぼくも笑い返しただけだよ、何度でも何度でも何度でも何度でも思い出して、生きて生きて生きて、ありったけの願いを思いをこめて響く歌。生まれた日から、何度も巡った春夏秋冬、そして最期の5月。いつか自分が撮る映画のために写真を撮った、おにぎりを食べた、晴れていたあの日。
必死に呼び戻す「ここ」で生きる仲間たち、あと一息で、と言うところでミミ(初美)と仲間たちとの間に立ち笑うひかる。
「無条件の愛をたくさんもらったから、ぼくは大丈夫」
「この人たちサイコー。ハレバレハレルヤ、楽しみにしてる」
そんな言葉を残して「ここ」から去って行く。
長い長い眠りから覚めたように、歌いたいなあと言うミミ、そしてハレバレハレルヤのステージ。ひかるが笑顔で見守る中、力強く美しいハーモニーが響き、笑顔に包まれて幕が下りる。


登場人物皆がそれぞれ痛みと喪失を抱えそれでも生きていてそれが丁寧に描かれていて、とても悲しくて寂しくて、だけど美しくてやさしい、温かい物語でした。私はこの物語のことを大好きになりました。百名ヒロキくんの門出が、新しい一歩がこの作品でよかった、幸せだなあって心から思いました。
ひろちゃんが演じるひかるくん、やさしさと繊細さと目一杯愛されて育ったゆえの自信と芸能人の息子と言う影の部分と、いろんなものがぎゅうっと濃縮されていて、ものすごく本音を言うと産まれてから最期までずっとかわゆかった。ごめんどうしても言いたいめちゃくちゃかわゆかった。不思議なようで不思議でも何でもないのだけど、ひろちゃんはひろちゃんで、笑った顔もふわりと柔らかい目尻もきれいな声も愕関節の秀逸なラインも細い腰も広い肩幅も、なのに衣装のパーカーが妙にダボっとしてかわいらしいところも、側転が描くきれいな弧もその時にTシャツがめくれてチラッと見えたお腹も軽やかなステップも身体の使い方がきれいなところも目を伏せて笑うところも眉毛を上げた表情も下げた表情も、全部知っていて、私は全部知っていたけど、でも以前よりももっと素敵になっていた。なんて、ありきたりのことしか言えないのがもどかしい。
ひろちゃんの台詞はいつも聞き取りやすくて、そして前にちょっとだけあったクドさが取れていて、随分と大人っぽくなったようで笑った顔は変わらずかわいくて向日葵のようで、って言ったら脳裏を如恵留が華麗に過るのだけどそれはともかく、役者として歩き出したんだなあって、石丸さんをはじめ共演者の皆さんにしっかりと育てられ大切に導かれたんだなあと思うとそれだけでうれしくて、そしてひろちゃんもそれに応えたのだなあと信じられるくらいのものを受け取りました。
たくさんたくさん、好きな場面がある、ひかるくんのシーンもそうじゃないシーンも、ミミさんと軽快に会話するひかる、そっと階段に身を預けて「ここ」にいない者として存在するひかる、お母さんのついた嘘が許せなくて泣いた小学生のひかる、真っ直ぐに誠実にひたすら明るく信じるものを守ろうとする姿にボクハレの世界をより愛させてくれた篠原が出ているシーンは全部大好き、死んだお父さんが骨になった日に台所でお父さんのものとしか思えないオナラの匂いがしてくさくて幸せで泣きながらお酒を飲んだって言う篠原、「女が歳をとるってねシワが増えるだけじゃない」って歌うすみ絵さんとSHOKOさんとかおりさんも大好き、口は悪いけどとってもやさしいSHOKOさんが本気でミミさんを心配するのが大好き、篠原、篠原本当に愛しくて!推しのこと好きすぎて救われすぎて結果的にマネージャーと言う彼女を支える仕事に就いて実際に人生を助けてる篠原勝ち組すぎる!かおりさんがひかるの言葉を他の人たちに伝えるため通訳をするのだけどその時にひかるとかおりさんがずっと声をシンクロさせて台詞を言う、あの不思議に心地よく響くユニゾンには胸が震えた、そんなひかるとかおりさんが子どもの頃にしか見えなかった世界を分かち合って舞台を駆け回るシーンは美しくて無邪気でだけどもう子どもじゃないことも十分に伝わって大好き、篠原が自分は見えないけど、SHOKOさんに思いを伝えて付き合っちゃいなよ結婚だってしちゃいなよと言う、大事にしていた彼女にもっと触れたかったって言うひかるを、悔しいよな切ないよなってゆっくりとやさしく抱きしめるシーンも大好き、その後歌い踊って現役時代のSHOKOさんまで出てくる一連の流れも大好き、踊るひかる、推しを目の前にしたオタクでしかない篠原、そしてミミさん=初美とひかるの「ボクが死んだ日はハレ」。ひかるが、お母さんへ思いを伝え手を離し背中を押すあのシーンで、ひろちゃんが歌った曲のタイトルが「ボクが死んだ日はハレ」なんですね。いつまでもいつまでも見ていたかった、聴いていたかった。悲しくてやさしくて涙が止まらなかった、間奏でいいのかな、暗めの照明の中で上体を反って踊るひろちゃんがとても美しかった。知っていたけど、知らなかった。また新しく大好きになった。

私ねえ、役者の百名ヒロキくんのファンになりました。
じゃにーずにいた仲田のひろちゃんがいなくなったとき、寂しくて悲しくてなんでいないのどこへ行ったのって苦しくて苦しくて、泣いたり怒ったり全部いらない全部嫌いってやっぱり大体怒ったり、あの子がいるなら誰とでもどこでもいいけど、あの子がいないなら何も意味がないって一瞬でジャニオタじゃなくなった。百名のひろちゃんとして戻って来たとき、一瞬で好きになった。できれば「舞台を観てから好きかどうか決めますキリッ」って言いたかった。無理だった。もう好きだった。盲目と言うか思いこみが激しいと言うか意地と言うかそんなものなのかなとほんの少し思ったけどやっぱりほんの少しだった。
紡がれる繊細で大胆な言葉を好きになった、解禁されたフライヤーのおさるさんver.を好きになった、やさしくて気遣い屋なことがわかる硬めの文章を好きになった、どうやっても周りから愛されるところを何度も何度も好きになった、そして舞台に立つ姿を観た。以前のひろちゃんが不自由そうだなんて思ったことなかったけど、ああ、自由なんだなってなぜか思った。大好きになった。わかってた、当たり前のようにそうなるってわかっていた、だけどまた新しく好きになれたことがうれしくてうれしくてどうしようかと思った。
ツイッターでフォローさせてもらっている方も仰っていたけど、これからはいかにひろちゃんが演じる役や出演する作品を好きになれるかなんだってことで、「じゃにーず」と言う所属が既にコンテンツとしてほぼ確立されているものが無い、ホームが無いと言うことは、ひろちゃん自身を感じることだってもちろんあるのだけど、でもきっとそれよりも役が占める割合が大きくなるのだなって。きっと今想像しているよりずっと大変なんだろうなと思いながら、それでも百名ヒロキくんが目指すもの、進む道、新しく立つ場所をこれからも何度でも見たいと思ってる。大変だなー大変だろうなーでも楽しみ!すごく楽しみ!

この子だ、って強く思った夏から丸4年5回目の夏、またもう一度、何回でも「この子だ」って泣き笑いで確かめた夏。
これ以上ないくらい晴れやかな一歩、ここに繋がったのだと思うと何もかもに意味があったと思えた「ボクが死んだ日はハレ」、好きになったよかった、全部君だった。

百名ヒロキくん、「ボクが死んだ日はハレ」の幕が無事に上がり、そして下りたこと、新たなスタート、本当におめでとうございました。
毎日がハレの日だったと言っていたひろちゃん、これからもハレの日がたくさんありますように、いつだって挑み形にしそして届ける日が晴れやかでありますように。これからも何度でも、幾度となく。

20170709

7月になりました。
7月だって。最後に仲田のひろちゃんがステージに立つ姿を観てから半年経って、いなくなってから4ヶ月、百名のひろちゃんとして現れてから3ヶ月。本当にこの半年の間に起こったことなのか、たまに「いやいやいやいや」ってなる。体感的には150年くらい経ってる気がする。気のせいだけど。
7月になったと言うことは、百名のひろちゃんとして初めてステージに立つことになるボクハレの幕ももうすぐ上がる。もうすぐって言うか今日入れてあと三日。うそだ~~~って思いつつ突如いてもたってもいられず使う予定のバッグにチケットと充電器とモバイルバッテリーを詰めました。初日に行くわけではなくまだ日もある気がするので落ち着いてほしい。
6月はボクハレの公式ツイッターが立ち上げられ、稽古が始まり、公式ツイッターや共演者の方々のSNSでその様子を知ることができて、あと毎回びっくりしたり何なら今でもびっくりするのだけど稽古中だったり、集合写真だったりでネットに写真が上がるのですよね。びっくりする。ひろちゃん本当にじゃにーず辞めたんだ!?!?って何度もびっくりした。びっくりしたしうれしかった。ひろちゃん本人は6月はほとんどブログの更新がなくて細かい状況を知ることはできなかったけど共演者さんのSNSによって制約なくその様子を知ることができるってうれしいなって素直に思った。
でも、そんな少ない更新の中でも心情は少しずつ教えてくれて

悩んだり、苦しんだりしていますが。
自分だけで考えたり内にこもる癖がある僕ですが、少し自分を開いただけでそこには何か違う新しい世界がありました。

ってね、何と言う答え合わせだろうってうれしかった。そうなんだろうなってぼんやり思っていたことが間違ってなかったんだなあって。いろいろ、いろいろね、あったね。あったねってまだ舞台そのものは始まってないし観てないし終わってないのに妙にしみじみすることじゃないんだけど。私は早くひろちゃんがきちんと捨てられるといいなと思う。多分ひろちゃん自身はその選択をした瞬間に手離してると思うのだけど、まだ周りが捨てられていないし捨てさせないから。「辞めジュ」なんて一方向からしかものを見ないゆえの呼称なんて蹴散らして、そう、最初の最初に言葉にしてくれた「拡い世界求め輝いていたい」と言う思いや新しく手にするものたちを大切に容赦なく進んでほしい。おいていったらいい。言うまでもないねごめんごめん。でもだってさ~~~活動が表面化してくるとさ~~~何か知らんけど余計なこと言う人も出てくるじゃん~~~作品や演技を見ての批評や好き嫌いならいいけど(個人的にはいやだけど)(だめなタイプのファン)まだ何も見てない状況でケチつけるのおかしくない~~~?ただのうるせえよブス案件じゃん~~~?まあ特大ブーメランで私もまだ作品も演技も見ていないのに好き好き言ってるけど。まさにうるせえブス状態だけど。でも自分のブスさはさておいてもチラホラ出てきた苦い言葉たち全部燃やして投げたい~~~!!!
そんなこんなで冒頭に戻って、7月になったのです。
4~6月の更新回数を思うと「いやそんな、いいの!?!?」って怖くなるくらい、まあ本人も本番を前に何かしらのルーティーンだったり気持ちを落ち着かせるための手段になっているのかもしれないけど連日ブログを更新して初日までのカウントダウンをしてくれるひろちゃん。カウントダウンしていない日もあったけどそれはともかく、本番を控えた様子を知ることができるのはうれしいなあ。楽しく言葉にできてるのかなって、こちらの勝手も込みでもそう思えるのはうれしいなあ。前向きなエネルギーや本人のかわいらしさ、やさしさ、気遣いやなところが伝わってくるのがうれしくてちょっとだけ心配で愛しい。そして100na ticket clubもね、本当ううううに!うれしい!「100na」ってかわいい、すごくかわいい!公式にお金を遣えるよろこび!雑誌に載らない写真が発売されないこの半年間、チケットはともかく本人に向けてお金を遣えなかった日々のもどかしさすごかったから入会金振りこむ時ニヤニヤが止まらなかった~~ひろちゃんありがとう~~事務処理は追いついてるか大丈夫か~~~?(さすがにどこかに委託してそうだけど、はて)

本番まであと三日。
落ち着かない!私が!私は出ないけど!

20170521

ずっとひろちゃんの言葉が文章が読みたくて、いつかウェブか雑誌の一コーナーかで連載とかできないかな~と高望みでも何でも願って期待していたのだけど、思わぬ形でそれを享受できるようになった今、何と言うか百名のひろちゃんは何もかもがはじめましてのはずなのにやっぱりずっとずっと知っていたひろちゃんで、ひろちゃんがそこに置いてくれる言葉は私にはあまりにもひろちゃんとしてしっくりきて、感じ方は繊細なのに表し方はわりと大胆で、頑なさとやさしさが滲み出てるあの子の言葉に触れて、気づけばまた好きを更新していた。えへへへ大好き。
名残なのかそう言う意思なのか(後者っぽいけどどうだろう)とりあえず自撮りとかは載せないひろちゃん。あめぶろってめっちゃ自撮り載せるブログだと思っていたからそうじゃない場合もあるのかと驚く私。かと思えば自撮りではなく何かしらのノートに恐らく鉛筆で描いたであろう自画像を載せるひろちゃん。模写って。まさかそんな方向から来るとは予想もしてなくて、ああ、好きだ~~私はひろちゃんのこう言うところが好きだ!繊細な感じ方、大胆な表し方。
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耳が大きくてかわいい。

深く考えない過ぎないようにいつも注意している

と言うけども、深く深く、とことん考えたその結果として今そこにいるのだろうひろちゃんのことがとても愛しいと思った。と同時に、

天秤なんていらなかった

と言う潔さ、選ぶまでもなかったんだなあって、ある意味でとても薄情に見えるかもしれないことを言い切る覚悟がうれしかった。私はね、本当にうれしかったよ。言えないだろうって前提はあるけど、それでも今までのことをチマチマ言うことをせず言い訳をせずただひたすら自分が選んだこと、選ぶまでも比べるまでもなかったことと言い切ったことがうれしかったよ。踏ん切りをつけないといけないからじゃない、そうじゃなくて、手に入れたいものがあったんだと、そこへきちんと堂々と踏み出したのだと、飛び込んだのだと信じていたから、だからうれしかった。勝手に思いっきり信じてきたことがうれしかった。
ひろちゃんの伝え方をどう捉えるかなんて人それぞれで自分以外の人のことはともかくだけど(正直気にはなるけど笑)だけど私が好きだと、ああひろちゃんだなと思えたので、そのことがとてもうれしかった。

やさしい人だな、と思う。
どうしてもしばらくはつきまとうこと(それに多分私、と言うか私の属性も漏れなく入っているんだけど)は面倒で煩わしくてそれこそ「探さないでください、一人にしてください」って言いたいようなことだけど、それなのに不安にさせてしまった、だなんて書いてくれる。「ごめんなさい」って続けないのが最高にかっこいい。とても孤独だと言う挑戦と経験の先に、どうか光に満ちた舞台がありますように。

7月も11月も、それ以外もそれ以降も、ひろちゃんが立ちたい場所に立ち続けられますように。
今のところ口でそう言うしか応援方法がないのだけど、何か具体的な手段がほしいな…!

20170505

2月に少しずつまるで丁寧に一つずつ片づけていくようにしてやがて来るそれを覚悟させ、3月の最初の日にあまりにもきれいに軽やかにいなくなってしまったあの子は、口に出すまい出すまいと思いつつどうしても期待してしまっていた4月1日に若干の疑いの余地を残しつつも帰って来てくれた。うれしいお知らせを持って、なぜか中央揃えのレイアウトで、webでも誌面でももちろん連載なんて持っていなかったから文章なんて知らないはずなのにきっと間違いないと言う彼らしさをまとって。
うれしかった。とてもうれしかった。続けること、そこに留まることはすばらしくそして何よりも強いと思う。それは絶対にそうだけど、でも今までの間違いなく守られて恵まれていた大きな組織から飛び出したことも、自分の意思で、そこに立ちたくて、そこで勝負をしたくて踏み出したことも素直にすごいと思った。「君が行くなら間違いない」とあの日から何度も何度も思って、あの子が決めたことなら絶対に正しいのだと心から思って、そして思いのほかすぐにその答え合わせはできた。ちがう名前、合致する生年月日と血液型、背中と耳の形しかわからない後ろ姿、それでもきっとそうなのだと思えた愉快なプロフィールと言葉の選び方。多分本人はそこまで愉快な性格でもないのに要所要所で愉快なところが本当にかわいいのはともかく、表舞台に立つことを選んでいたことがうれしくて身勝手にありがとうって思った。
元いた世界はあの子がいなくても問題なく何事もなかったかのように回るし進むし変わらないし変わっていく。最初からいなかったようになっても私は正直それでよかった。今までだってそうやってきたのだからそれでいい。それを見るか見ないか、それだけのことで私は見ないことを選んだ。全部好きでいられたらよかったのにね、と他人事のように思いながらキーワードミュートはどんどん増えたし配信されるメールに目を通すことはなくなった。あの子ならどこでも、誰と一緒だっていい。だけどいないなら何もいらない。背を向けて目を瞑り耳を塞いだ。きっとこれからも。

諦めたわけじゃない、逃げたわけでもない、捨てたわけでも浅慮なわけでもましてやラクな道を選んだわけでもない。何が遠回りで近道でそれでさえないかなんて今わかることじゃないしずっとわからないかもしれない。でも好きだから、この先もずっと好きかなんてわからないけど今大好きだから、どんな景色が待っているかなんてわからないけどでも今いちばん見ていたいのは知りたいのは心動かされるのは気持ちを揺さぶられるのはあの子だから、選ぶまでもなく選んだ。知らないことの方が多いのに大好きなんて今に始まったことじゃない、ずっとそうだったんだからそれでいい。

そして今日、あの子が出演する「ボクが死んだ日はハレ」のフライヤーが、ビジュアルが解禁された。
harebare
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ぶわあって、身体を温かいざわざわっとしたものが通り抜けていった気がした。髪の毛が短くなって、そりゃもう短くなって、ああもうサイドまで刈るなとあれほど、って思いながら、うそ思う余裕もなく、あまりにも懐かしくて愛しい笑い方に泣いて笑って大好きだと、ひたすら大好きだと思って汗ばんだ手のせいでしっとりしてきたあいほんをそれでも握りしめた。

思いっきり挑戦できますように、たくさんの素敵な出会いがありますように、苦しくともすばらしい経験を積んで宝物になりますように、大好きな場所に立ち続けられますように。

百名ヒロキくん、百名のひろちゃん。
おかえりなさい。はじめまして。ずっとずっと大好きでした。そして大好きです。